まずは、論語 憲問第十四から、
或曰、以徳報怨、何如、子曰、何以報徳、以直報怨、以徳報徳、
或るひとの曰(い)わく、徳を以て怨(うら)に報(むく)いば、如何(いかん)。
子の曰(のたま)わく、何を以てか特に報いん。直きを以て怨みに報い、徳を以て徳に報ゆ。
ある人が「恩徳で怨みのしかえしをするのは、いかがでしょうか。」といった。先生はいわれた。
「では恩徳のおかえしには何でするのですか。まっ直な正しさで怨みにむくい、恩徳によって恩徳にお返しすることです。」 (論語、金谷治訳注、岩波文庫、1963年)
これは、「老子」第63章にある、以下の言葉の対極にあります。
為無為、事無事、味無味、大小多少、報怨以徳
無為を為し、無事を事とし、無味を味わう。小なるを大とし、少なきを多とし、怨みに報いるを徳を以てす。
無為(人為的な細工をしないこと)を自分の生き方とし、無事(何事もしないこと)を自分の営みとし、無味(好悪をもたぬこと)を自分の感情とする。小さなものには大きなものを与え、少ないものには多く返してやる。怨みのあるものには、徳をもって報いる。
論語(儒家)と老子(道家)の考え方は異なっています。
人として行う道は何か。
あなたが今悩んでいることは、本当に難しい問題です。
怨みに報いるのは、徳か直か。
少なくても、怨みに報いるのは、怨みではないようです。
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