最近、神は細部に宿る、という言葉をどこかで聞いたらしく、
これまで、ずいぶん、全体を見ることが大切で、
木を見て森を見ず、ということがないようにと、さんざん、いわれてきたけれど、
自分は細かいことにこだわりたいし、
やっぱり、細部は大事だよね~、と言っています。
神は細部に宿る
God is in the details.
建築家の ヴァン・デル・ローエ Ludwig Mies van der Rohe (1886-1969) や
美術史家の アビ・ワルブルク Aby M. Warburg (1866-1929) が、好んで用いた言葉らしいです。
細部の完璧さにこだわることが、より高いレベルでの完成に重要であること、あるいは、細部を深く掘り下げることが真理に至る道であること、を意味しています。
一方で、
The devil is in the details.
という言葉もあります。
細部には、悪魔もいるようです。
蟻の穴から堤も崩れる、といいます。
堤防にできた、蟻が通るほどのごく小さな穴でも、放っておけば、ついには大きな堤防も、崩してします、という意味ですね。
確かに、細部は大事ですね。
細部も、全体も、どちらも見渡せるイマジネーションがあると、さらによいと思いますけど。
2015年12月13日日曜日
2015年11月15日日曜日
身を捨ててこそ
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」
空也上人 (903-972) のことばとされています。
「空也上人絵詞伝」に
「山川の末に流るる橡穀も、身を捨ててこそ浮かむ瀬もあれ」
という歌があるそうです。
山から川の流れにのって流れてきたトチの実は、自ら川に身をなげたからこそ、やがて広い川の瀬に浮かぶこともできた、という歌です。
ちなみに、浮かぶ瀬とは、仏の悟りを得る機会だそうです。
一般的には、一身を犠牲にする覚悟があってはじめて活路も見いだせる、と説明されますが、そこまで深刻にならなくても。
また、身を捨てるには自我を捨てるという意味もありそうです。
あなたの場合、どうしてよいかわからない時、どうしようもなくなった時、流れに身をまかせることによって、事態が解決することもありますよ、という解釈がいいんじゃないかしら。
空也上人 (903-972) のことばとされています。
「空也上人絵詞伝」に
「山川の末に流るる橡穀も、身を捨ててこそ浮かむ瀬もあれ」
という歌があるそうです。
山から川の流れにのって流れてきたトチの実は、自ら川に身をなげたからこそ、やがて広い川の瀬に浮かぶこともできた、という歌です。
ちなみに、浮かぶ瀬とは、仏の悟りを得る機会だそうです。
一般的には、一身を犠牲にする覚悟があってはじめて活路も見いだせる、と説明されますが、そこまで深刻にならなくても。
また、身を捨てるには自我を捨てるという意味もありそうです。
あなたの場合、どうしてよいかわからない時、どうしようもなくなった時、流れに身をまかせることによって、事態が解決することもありますよ、という解釈がいいんじゃないかしら。
2015年11月1日日曜日
コミュニケーション
最近、コミュニケーションがうまくいかないことがあるそうです。
一度、かみ合わなくなると、どうしようもなくなることがあるそうです。
とりあえず、
’Then give to the world the best you have and the best will come back to you.'
Ralph Waldo Trine (1866-1958)
「それでは、自分のベストを世界に差し出しましょう、そうすれば、ベストのものが戻ってきます。」
ラルフ・ワルドー・トゥライン (1866-1958)
'A gentle word, a kind look, a good-natured smile can work wonders and accomplish miracles.'
William Hazlitt (1778-1830)
「やさしい言葉、親切なまなざし、心優しいほほえみが、おどろきの結果をもたらし、奇跡をなしとげる。」
ウィリアム・ハズリット (1778-1830)
普段から、手を抜いちゃだめってことね。
2015年10月18日日曜日
とりこし苦労
’Cross that bridge when you come to it.’
英語の慣用句ですが、
橋を渡ることは、橋についてから考えなさい、
ということで、問題が起こってから、どうするか考えればよいのであって、
まだ、何も起こっていないうちから、とりこし苦労をしてもはじまらない、ということですね。
いろいろ先のことまで考えて、どうしようか悩んでいるようですが、
まだ、どうなるかわからないことは、今から悩んでも始まりませんね。
その時になったら考えましょう。
2015年9月21日月曜日
不満
最近、愚痴というか、不満というか、言い訳が多いですね。
「努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る。」
(「氷壁」、井上靖 1907-1991)
何かを始めなくては、何も起こりませんね。
「小人閑居して不善をなす」 (「礼記」 大学)
なんていわれないようにね。
あ、怒ると小人ってことになるわよ。
「努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る。」
(「氷壁」、井上靖 1907-1991)
何かを始めなくては、何も起こりませんね。
「小人閑居して不善をなす」 (「礼記」 大学)
なんていわれないようにね。
あ、怒ると小人ってことになるわよ。
2015年8月30日日曜日
心配事
悩みや心配事があると、自分が自分でなくなってしまうので、とてもいやなんですって。
よくわかります。
Worrying is stupid. It's like walking around with an umbrella waiting for it to rain.
Wiz Khalifa (1987- )
心配して気をもむことは馬鹿げている。まるで、傘を持って歩き回り、雨が降るのを待つようなものだ。
ウィズ・カリファ (1987-)
I'm very happy with my life. I am what I am. I don't worry about anything that I can't control. That's a really good lesson in life.
Tom Watson (1949- )
私は自分の人生をとても幸せに思っています。私は私以外のものではありません。私は、自分ではどうしようもないことを心配したりはしません。これは、人生における大事な教訓です。
悩み事があると、頭の中はそれだけになってしまいます。
心配すれば、心配事が起こらなくなるわけではありません。
でも、心配してばかりいると、前向きなことは何も起こりませんね。
結局、自分で、言い当てていますね。
よくわかります。
Worrying is stupid. It's like walking around with an umbrella waiting for it to rain.
Wiz Khalifa (1987- )
心配して気をもむことは馬鹿げている。まるで、傘を持って歩き回り、雨が降るのを待つようなものだ。
ウィズ・カリファ (1987-)
I'm very happy with my life. I am what I am. I don't worry about anything that I can't control. That's a really good lesson in life.
Tom Watson (1949- )
私は自分の人生をとても幸せに思っています。私は私以外のものではありません。私は、自分ではどうしようもないことを心配したりはしません。これは、人生における大事な教訓です。
トム・ワトソン (1949- )
悩み事があると、頭の中はそれだけになってしまいます。
心配すれば、心配事が起こらなくなるわけではありません。
でも、心配してばかりいると、前向きなことは何も起こりませんね。
結局、自分で、言い当てていますね。
2015年8月16日日曜日
徳をもって、恨みに報いる
まずは、論語 憲問第十四から、
或曰、以徳報怨、何如、子曰、何以報徳、以直報怨、以徳報徳、
或るひとの曰(い)わく、徳を以て怨(うら)に報(むく)いば、如何(いかん)。
子の曰(のたま)わく、何を以てか特に報いん。直きを以て怨みに報い、徳を以て徳に報ゆ。
ある人が「恩徳で怨みのしかえしをするのは、いかがでしょうか。」といった。先生はいわれた。
「では恩徳のおかえしには何でするのですか。まっ直な正しさで怨みにむくい、恩徳によって恩徳にお返しすることです。」 (論語、金谷治訳注、岩波文庫、1963年)
これは、「老子」第63章にある、以下の言葉の対極にあります。
為無為、事無事、味無味、大小多少、報怨以徳
無為を為し、無事を事とし、無味を味わう。小なるを大とし、少なきを多とし、怨みに報いるを徳を以てす。
無為(人為的な細工をしないこと)を自分の生き方とし、無事(何事もしないこと)を自分の営みとし、無味(好悪をもたぬこと)を自分の感情とする。小さなものには大きなものを与え、少ないものには多く返してやる。怨みのあるものには、徳をもって報いる。
論語(儒家)と老子(道家)の考え方は異なっています。
人として行う道は何か。
あなたが今悩んでいることは、本当に難しい問題です。
怨みに報いるのは、徳か直か。
少なくても、怨みに報いるのは、怨みではないようです。
或曰、以徳報怨、何如、子曰、何以報徳、以直報怨、以徳報徳、
或るひとの曰(い)わく、徳を以て怨(うら)に報(むく)いば、如何(いかん)。
子の曰(のたま)わく、何を以てか特に報いん。直きを以て怨みに報い、徳を以て徳に報ゆ。
ある人が「恩徳で怨みのしかえしをするのは、いかがでしょうか。」といった。先生はいわれた。
「では恩徳のおかえしには何でするのですか。まっ直な正しさで怨みにむくい、恩徳によって恩徳にお返しすることです。」 (論語、金谷治訳注、岩波文庫、1963年)
これは、「老子」第63章にある、以下の言葉の対極にあります。
為無為、事無事、味無味、大小多少、報怨以徳
無為を為し、無事を事とし、無味を味わう。小なるを大とし、少なきを多とし、怨みに報いるを徳を以てす。
無為(人為的な細工をしないこと)を自分の生き方とし、無事(何事もしないこと)を自分の営みとし、無味(好悪をもたぬこと)を自分の感情とする。小さなものには大きなものを与え、少ないものには多く返してやる。怨みのあるものには、徳をもって報いる。
論語(儒家)と老子(道家)の考え方は異なっています。
人として行う道は何か。
あなたが今悩んでいることは、本当に難しい問題です。
怨みに報いるのは、徳か直か。
少なくても、怨みに報いるのは、怨みではないようです。
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